アンパンマンの町からジジ通信

 アンパンマン生みの親やなせたかしさんが生まれた町から、ジジが発信する。

真空管が覗いていた

 近くに御在所山があって、頂上には大きな神社があります。
 いまは、一の鳥居の側まで車で行けますので、だいぶ楽にはなりました。
 この付近に小さな集落がありましたが、とうの昔に一軒もなくなりました。田畑にも屋敷にもスギの植林をして、まちへ出て行ったのです。
 真空管ラジオも捨てて行ったのでしょうか、もう壊れていたのか、それとも、もうテレビの時代からいらない、と思ったのか、判りません。
 その当時はまだ車道はついていなかったはずです。部落が消滅してから、林道が開通したのですが、おそらく、車で行き来できたとしても、ここで生活はできなかったかもしれません。




てのひらを太陽に (やなせたかし詩碑) 

 
 香北青少年の家(高知県香美市香北町吉野)に、やなせたかしの歌碑てのひらに太陽をが建っています。作曲は、いずみたく。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
 てのひらを太陽に
     すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血しお
とんぼだって かえるだって
みつばちだって
 みんな みんな生きているんだ
 ともだちなんだ



 1961年に制作され、翌年にNHK『みんなのうた』で放送されそうです。詳しくはこちら
 私も、放送で聞いたのでしょう、良く知っていましたが、やなせたかしの作詞だとは知りませんでした。(それとも、忘却してしまったのか)
 この歌碑を見て初めて認識したような次第です。
 放送されたのは50数年まえのことですが、この頃の やなせたかし は、今ほどの売れっ子ではなかったかもしれません。

 なお、歌詞は三番まであって、歌碑に刻まれているのは、二番です。


岩屋大師

 河野(高知県香美市香北町)明良木山のある。本尊弘法大師。
 伝えるところによると、嵯峨天皇の弘仁十年、弘法大師四十六歳の時、衆生済度のため四国山中の入らず山で修業中、たまたまこの地についた。

時あたかも疫病が流行し、人々のなやみは甚だしく伏し倒れる者が多かった。
 大師はこの苦難を救おうとして大日如来の示現により、高さ三丈六尺余りの大岩屋にたどりついいた。日光菩薩の御光が西南より明るくこの岩屋を照らしたので、その光明にちなんでこの地を明良木山とよび、岩屋を夕日の岩屋というようになった。
 大師の真言秘密の法により、岩屋の中腹より清水を湧出させ、これを人々に注いで難病を治したという。
 大師堂は岩屋に接して建てられ、清水は如何なる長雨にも増すことなく、又旱魃にも決して減らず今日に至っている。
 旧暦三月と十月の二十一日は縁日で、前夜は通夜をする人が堂にあふれ、当日は善男善女の参詣者が極めて多く、手に手にお水をいただいて帰って行く。大師堂の到る道の両岸は、春はつつじ秋は紅葉が谷川の清流にはえて風光が極めて美しく、梶が森登山の一コースとしてもまた有名である。
香北町史(松本実編集1968年発行)より




 




記事の分類 (カテゴリ)
月別保存記録
タグ絞り込み検索
記事検索